なんでみんな自分のこと非リアっていうの

非リアって、人が自分についての不満とかコンプレックスを指す恣意的な言葉なんだなと思った。

 

 大学一年の時にマジで大学に友達がいなかったので(今もですが)、Twitterで非リアだ非リアだと言っていたら、86世代のお兄さんをたいへん驚かせてしまったらしい。彼らにとって非リアとは、女子大生が自称するような言葉ではなかったそうです。

 

 今では「恋人がいない人」という意味でつかわれることが多い「非リア」ですが、かつての2ちゃんねるでは「リアルの生活が充実していない人、ネットのほうが楽しい人」くらいの意味で使われていたと思います。そういえば、高校生くらいのときにpopteenseventeenに「リア充、非リア充」という言葉が載って、恋人がいる/いない人、という意味で紹介されていた記憶がある。それ以降、同級生がプリクラとか前略に非リアだとかリア充だと書き始めて、ねらーだった自分はたいへん驚いた。

 

 わたし自身は、昔に比べて交友関係も広がって、年相応のコミュニケーションも(がんばれば)とれるようになった今では、非リアを自称するのはやめました。飽きたし。

 

 ところが、周りの子たち、しかも自分より明らかにリア充っぽい子たちが非リアを自称している。テニサーにいるめっちゃ明るい子とか、スポーツばりばりやってる子とか、彼氏も友達もその中間みたいな存在(お察し案件)がいる子も、自分を非リアといって卑下してる。理由はまちまちで、彼氏がいないからとか、バイトばっかりしているからとか、なんとなく地味な存在だからとか、お金なくて遊べないからとか。中には、「あの子はリア充だけどわたしは非リア」と言われているあの子が非リアを自称している現象もある。結局、みんな理想の自分に足りていないものを「非リア」っていう言葉で回収しているんだなと思った。

 

 先月は、「陰キャラ」という言葉を3回くらい聞いた。以前から使われていた言葉らしいけど、急に聞く回数が増えた気がする。これはコミュニティーの中で比較的地味な存在、という意味らしいので、非リアよりも定義がわかりやすいなと思う。かつての非リアに近いかもしれない。非リアとは違って、他称に使われることがあるようです。私の聞いた3回のうち2回も他称だし、Weblioにもスクールカーストの下位って書いてある。

 

 一方みんなの憧れ、幻の存在であるリア充についてはこんな話が。

目指すは最強の「#リア充」! 人気ブランドP“ネオギャル”植野有砂インタビュー(1/3) - ウレぴあ総研

 

植野:あと、友だちに、自分がいかに「リア充」か、自分のライフスタイルがいかにイケてるかを見せるのってみんな好きだと思うんですよね。

――本の帯にも「最強の#リア充を目指す」とありますけど、「リア充」という言葉は元々ネットの世界では「リア充爆発しろ」みたいな、けなし文句に近いものがあったじゃないですか。それを堂々と書いてるのが面白いなと。

植野:私毎日充実した生活を過ごしたいってずっと思っていて、毎日幸せだなって思ってるんですけど。極論なんなんだと思ったら「いかにリア充になるか」ってことだなと思って。「リア充」って結局みんなが求めてること、みんなが憧れることじゃないですか。

――みんなできるだけ楽しくて充実した生活を送りたいでしょうし、美味しいご飯や素敵なカフェがあったらみんなに紹介したい、見せたいっていう気持ちは多くの人が持ってますよね。

植野:なので、1年半くらい前から、友達と遊んでるだとか、楽しそうな写真に「#リア充」とつけています。友達と話してる時も「マジ”#リア充”したくない?」とか言ってて(笑)。「#」をつけることに意味があって。本の帯にも書いてあるんですけど「最強の#リア充を目指す」というのをモットーに生活してます。

素敵なことがあったら見せたい。すっごいわかる。

#リア充タグ、わたしも使おう。ネット上のわたしは自称で決まるとしたら、彼氏いなくても友達すくなくてもタグつければリア充になれるっぽい。ヤッター!!!

 

 

 

老害がカゲプロに接触したら結構大変だった件

流行ものが大好きなので、ナウでヤングなティーンに大人気というカゲプロに片足を突っ込んでみた。楽曲、小説、アニメの三つをつまんでみたところ、自分の老いを体感してしまった。

 

ニコ動で楽曲を"見る"

まず最初に、カゲプロ好きの人からニコニコ動画で見ておくべき楽曲リストを教えてもらった。カゲプロ厨にとっては楽曲が原典であるという旨のなにかをネットでみたので、カゲプロ入門はここからと思っていたからだ。しかし、残念なことに結構つらかった。というのも、私が若くないからだ。

カゲプロ楽曲を再生するときは、音楽としてメロディや音を聞くことははもちろんであるが、物語を理解するために歌詞とMVを解釈しなくてはならない。しかも、他のユーザーの解釈や論争がコメントとして流れ続けている。つまり、目と耳と頭を全部同時に使う必要がある。これはだらだらものを眺めることを基本としているおばさんにはちょっと難しかった。若い子に比べて、コンテンツにのめり込む際のエネルギーが圧倒的に足りていないことを思い知った。

 

ボカロは楽器だった

さらに、私の耳はボカロに慣れていないという問題があった。ボカロは基本早口で、ちゃんと集中して聞いていないとなに言ってるかぜんぜんわからない。カゲプロにおいてボカロは人間の声の代替ではなく、物語を表現するための楽器の一つとして考えるべきなのかもしれないと思った。そうすると音楽そのものの概念も変わってくるんだろうな。

 

小説が一番良かった

他にもアニメ、小説をつまんでみたけれど、一番自分の性に合ったのは小説「カゲロウデイズ」だった。といっても、LINEマンガでコミックだと思って買ったら小説だったという話なんだけれども。

一巻はいかにもラノベっぽい、冗長な表現が多くて少し困ったけれど、巻数が増えるごとにどんどんテンポよく読みやすくなっていった。物語が進むにつれカゲプロの世界観全体がわかるようになるから、というのもあるのだろうけど、小説としての表現が巧くなっている気がした。思えばこれは、連載漫画にもよくある話である。作者は専業(?)の小説家ではなく、原案者でボカロPのじん(自然の敵P)さんとのことなので、だんだん彼の小説家としての能力が高まったということなのかもしれない。

ちなみにこのじん(自然の敵P)さんは、アニメの脚本も書かれているそうなのですごい。世界を作れて曲が作れて文章が書けるって、チートじゃん。

 

あんちょこ"ピクシブ百科事典"

実はこの小説「カゲロウデイズ」を読む間にも、ピクシブ百科事典をあんちょことして利用していた。複数の過去回想が進んでいき、いつまでたっても物語全体を把握できずもどかしくなってきたからだ。ピクシブ百科事典のカゲプロ項は大変充実していて、正直最初にこれさえ読んでおけば大丈夫というレベルだった。

カゲプロは、数多くの考察がなされている割に、まとめサイトが見当たらない。メインターゲットである中高生が使いやすいサービスに情報が集められているようだった。

 

カゲプロ最高

そんなこんなで結構大変だったカゲプロだけれども、逆に言うとわざわざ老いを実感しながらでも摂取する程面白い物語だった。まだまだ続くプロジェクトらしいので今後も楽しみだ。ただちょっと、一人で若い子のエネルギーについていくのは大変なので、同年代や上の世代の人も齧ってみて欲しいと思った。

 

 

自撮りが楽しいのはあなたもわたしも可愛いから

自撮りの本質は、ナルシズム~~~とか承認欲求(死語)~~~ではないと思っています。もとの顔と加工した顔の違いなんて自分が一番よくわかっていますし、自撮りが死ぬほど可愛いあの子も実際はたいしたことないことだって、なんとなくわかってます。じゃあなんで人の自撮りにイイネ押すし自分も自撮りをするのかというと、いつもネットで見てる大好きなあの子が可愛いからだと思います。

 

自撮りはわたしではないので

お化粧やヘアアレンジがうまくいった日にわざわざ困り顔して肌の白さや目の大きさを変えた後の人物は、もはや私ではありません。そんなのノイローゼになりそうな程わかっています。そこにいるのは自分が好きな”あの子”に近しい非実在美(少)女なのです。

わたしも本当は玉城ティナちゃんかmimmamちゃんかみるきー中村里砂ちゃんみたいに生まれて来れればよかったのですが、残念なことになぜかそうはいきませんでした。好きでこんなジャガイモみたいな顔に生まれてきたわけではないのですが、こうなっちゃったものはもうしょうがない。

pudding cameraでとってサイメラで加工した私は、もはや私ではなく、ハーフっぽいとかアイドルっぽいとかお人形さんっぽいといった”それっぽい”匿名の存在になれる。実際はもっと肌が荒れているとか目が小さいとか骨ばってるとかいろいろある気がしなくもないですが、加工した顔はそれっぽい。可愛い可愛いワンオブゼムになれる。画面に映った人はもはやわたしではなくって、憧れのあなたに近しい何かかもしれない。自撮りしてるあなたが可愛いからわたしも可愛いんだよ。

 

懐かしのプリクラ 

そもそもネットで見かける自分を撮った写真というと、わたしは世代と趣味のこともあってやはり、2chの女神とプリクラを連想してしまいます。2chの女神に関しては、視界には入っていたけれどもしっかり見ていないのでよく存じ上げません。でもプリクラは若かりし頃、狂ったように撮りまくっていました。

毎日が青春の記念日だった日々。プリクラという行為そのものが当時のJCJKにとって、楽しくてかわいくて正しいものだと思っていました。前略やアルバムやリアルやmixiでクラスメイトがとったプリクラを見るのはすごくたのしかったですし、自分がプリクラを撮るのもすごく楽しかった。厳しめの女子校に通っていたので、当然みんな学校ではすっぴんだったのですが、放課後や休日にプリクラを取るときはがっつりつけまをしていたし、デカ目モードでもっと派手にしていた。おしゃれ楽しい。今思うと、加工も含めておしゃれだった。

 

自撮り=おしゃれの一部=可愛い

では今の自撮りはどうかというと、やはりいろいろひっくるめたうえでおしゃれだと思います。彩度や光の強さを変えて目の大きさをそろえて、というひとつひとつの作業を考えると、毎朝やっている化粧と何ら変わりないなと思います。それにヘアスタイルや表情や背景や服装が相まって、一つの自撮りが完成する。

あの子のおしゃれはかわいいし私のおしゃれも可愛い。私が見てるあなたは本当のあなたではなくって、画面を通して加工されたあなただ。あなたから見える私も本当の私じゃない。でもどっちも可愛いよね。

本物の私はどこもあなたに似てないんだけど、さんざん加工しまくってあなたに近しくなった私は、さすがに可愛いと思う。”こういう女の子が好き”っていうのと私がこういう人間だっていう事実は違うんだけども、画面に映ってる私はわたしじゃなくて、こういう女の子のうちの一人なので、やっぱり可愛い。ワンオブゼム可愛い。記号化の快楽よ。