自撮りが楽しいのはあなたもわたしも可愛いから

自撮りの本質は、ナルシズム~~~とか承認欲求(死語)~~~ではないと思っています。もとの顔と加工した顔の違いなんて自分が一番よくわかっていますし、自撮りが死ぬほど可愛いあの子も実際はたいしたことないことだって、なんとなくわかってます。じゃあなんで人の自撮りにイイネ押すし自分も自撮りをするのかというと、いつもネットで見てる大好きなあの子が可愛いからだと思います。

 

自撮りはわたしではないので

お化粧やヘアアレンジがうまくいった日にわざわざ困り顔して肌の白さや目の大きさを変えた後の人物は、もはや私ではありません。そんなのノイローゼになりそうな程わかっています。そこにいるのは自分が好きな”あの子”に近しい非実在美(少)女なのです。

わたしも本当は玉城ティナちゃんかmimmamちゃんかみるきー中村里砂ちゃんみたいに生まれて来れればよかったのですが、残念なことになぜかそうはいきませんでした。好きでこんなジャガイモみたいな顔に生まれてきたわけではないのですが、こうなっちゃったものはもうしょうがない。

pudding cameraでとってサイメラで加工した私は、もはや私ではなく、ハーフっぽいとかアイドルっぽいとかお人形さんっぽいといった”それっぽい”匿名の存在になれる。実際はもっと肌が荒れているとか目が小さいとか骨ばってるとかいろいろある気がしなくもないですが、加工した顔はそれっぽい。可愛い可愛いワンオブゼムになれる。画面に映った人はもはやわたしではなくって、憧れのあなたに近しい何かかもしれない。自撮りしてるあなたが可愛いからわたしも可愛いんだよ。

 

懐かしのプリクラ 

そもそもネットで見かける自分を撮った写真というと、わたしは世代と趣味のこともあってやはり、2chの女神とプリクラを連想してしまいます。2chの女神に関しては、視界には入っていたけれどもしっかり見ていないのでよく存じ上げません。でもプリクラは若かりし頃、狂ったように撮りまくっていました。

毎日が青春の記念日だった日々。プリクラという行為そのものが当時のJCJKにとって、楽しくてかわいくて正しいものだと思っていました。前略やアルバムやリアルやmixiでクラスメイトがとったプリクラを見るのはすごくたのしかったですし、自分がプリクラを撮るのもすごく楽しかった。厳しめの女子校に通っていたので、当然みんな学校ではすっぴんだったのですが、放課後や休日にプリクラを取るときはがっつりつけまをしていたし、デカ目モードでもっと派手にしていた。おしゃれ楽しい。今思うと、加工も含めておしゃれだった。

 

自撮り=おしゃれの一部=可愛い

では今の自撮りはどうかというと、やはりいろいろひっくるめたうえでおしゃれだと思います。彩度や光の強さを変えて目の大きさをそろえて、というひとつひとつの作業を考えると、毎朝やっている化粧と何ら変わりないなと思います。それにヘアスタイルや表情や背景や服装が相まって、一つの自撮りが完成する。

あの子のおしゃれはかわいいし私のおしゃれも可愛い。私が見てるあなたは本当のあなたではなくって、画面を通して加工されたあなただ。あなたから見える私も本当の私じゃない。でもどっちも可愛いよね。

本物の私はどこもあなたに似てないんだけど、さんざん加工しまくってあなたに近しくなった私は、さすがに可愛いと思う。”こういう女の子が好き”っていうのと私がこういう人間だっていう事実は違うんだけども、画面に映ってる私はわたしじゃなくて、こういう女の子のうちの一人なので、やっぱり可愛い。ワンオブゼム可愛い。記号化の快楽よ。