どうやら映画が好きらしい

小さな頃から続くあまりにも当たり前の行為だったので気が付かなかったのだけれども、どうやら私は映画を観ることが好きらしい。就職活動の面接で、唐突に「映画は好きですか」と聞かれたときに、やっと気がついた。

そのまま好きな映画をいくつか説明した。「特に好きな監督はソフィア・コッポラ監督で、彼女の作品には、有名なものだと『ヴァージンスーサイズ』や『ブリング・リング』があります。」一番有名であるはずの『マリー・アントワネット」のことは、うっかり忘れていた。

自分の好きなものを、他人に問われて初めて気がつき、それを必死に説明する私の姿は滑稽であったと思うし、なんだか歯がゆくも恥ずかしくもある。

 

自分の無知に気がついたとき、人は恥を感じるのかもしれない。

特に、自分自身についての無知を知ったときに。

 


『アデル、ブルーは熱い色』映画オリジナル予告編 - YouTube

 

恥を感じたとき、その人は「赤くなる」のが一般的だ。ところがこの映画の主人公は、「青」に触れる瞬間に、自身の本質、ハダカの姿を知る。

自分が女性を好きだと気がついたとき。裸で人の目に晒され続けていたとき。自分の住む世界や信じている生き方が、実は不自由であると気がついたとき。今目の前にいない、心から愛する人を、深く深く求めているとき。自分がその人にとって、人生のほんの一部に過ぎないと知ったとき。

 

スクリーンの前で裸体を晒して、泣いて喚いて他人にすがって、もぞもぞパスタを貪って。大勢の人々から至近距離で見つめられながら、少女は何者でもない自分の欲望や欲情を感じ、覚え、青を身にまとい、どこかへと歩いていく。自分を知ることは、常に恥ずかしいことだと思う。

 

ちなみにこの映画の好きな部分は、青い髪をした芸術家の女性エマが、自身の恋人である主人公アデルに「料理をするのもいいけど、幸せになって欲しい」というシーン。そのシーンの直前、アデルが料理をしていたのは、エマの画家としての成功をお祝いするパーティーだった。どんなに心が近く、愛し合っている関係でも、幸福にたいする考え方一つすら分かり合うことができないのだなぁ。

 

自分の生きる道をその手で作り上げたエマは、徐々に青い色を身にまとわなくなる。ラストシーンで海に浮かぶアデルは、まだまだ自己の探求の真っ最中で、青い水面に体だけを浮かべている。その姿はとてつもなく美しかった。