どんなにお金と愛を注いでもファンはアーティストのものにはなれないしアーティストもファンのものにはなれない

 ちょっと色々あったのでファンとアーティストの関係について考えたりしてみた。

 

 例えばV系バンド界隈において、昔でいう「ファック隊」、今でいう「狙い」の人たちは、アーティストと体の関係を持った時点でロマンチックで美しいファンーアーティスト間の関係を失ってしまっていて、どこにでもいるような人間とインスタントに作れる単純な男女関係に落ちぶれてしまってるんだと思う。本人がどんなにそれから複雑さを見いだそうとしていてもね。

 

 じゃあ純粋な愛やお金で繋がったファンーアーティスト関係は絶対かっていうと全然そんなことない。どんなにお金を使っても時間をかけても人生を掛けても愛していても、アーティストはファンのものにはならないしファンもアーティストのものにはなれない。

 

 例えば、もし私がこれから大好きなX JAPANのファン活動だけに全てを注いで、あとの時間は活動費を得るためだけにテキトーに生きたとする。学校も今すぐやめてお給料は必要最低限の生活費以外全部ライブや音源に費やす。ライブがあれば仕事も約束もぶっちして行く。なんて幸せな生活だろうか。客観的に見ても超忠実なファンだしマジで人生かけてるんだなって思う。でも、バンドが活動を停止したらって考えると危険すぎる。私の人生には何も残らない。思い出だけで生きていくのは困難だ。たぶんそうなったら、私はYOSHIKIをはじめとするメンバーを恨んでしまうと思う。裏切られた、なんていう全く自分勝手で分けのわからない理由で。本当はそんなこと言う権利なんてないのに。自分の人生を誰かに委ねてしまった自分が悪いのに。

 

 一方で、どんなにお金を使っても人生を賭けても愛していても、アーティストはファンのものにはならない。費やしているコストの量だとか、気持ちの重さだとかが、アーティストに好き勝手言っていい理由にはならない。だってそれは彼らの人生であってあなたの人生ではないから。昔からXではファンがメンバーに説教してたんだよ、っていう話もあるかもしれないけど、10年以上も前はTwitterなんてなかった。長いファンレターの中で経緯とか気持ちも含めて気持ちを送るのと、140文字以内でカッとなって相手を傷つけるようなことを言うのは全然違う。ましてや相手はYOSHIKIだ。あなたが自分の気持ちに任せて送った一言が彼をどんなに深く傷つけうるか。もちろん他のアーティストのファンの人たちにとっても、自分の好きな人を同じファンが傷つけるなんてことは嫌だろうと思う。

 

 こういうことを考えていると、ファンとアーティストの関係って脆いんだなと思えてきてしまう。「運命共同体」なんて言われているのに。じゃあファンとアーティストとして、どんな関係でいればいいんだろうか。私は思春期まっただ中に、X JAPANというバンドに出会った。その頃ちょうど再結成されたからだ。その出来事がその後の行動や進路に干渉しなかったとは口が裂けても言えない。でも、彼らもそろそろ体力的に活動が難しくなっていて、私ももう子供のままじゃいられなくなって。今度こそ本当に「終わり」を意識するときなんじゃないかと思えてきた。前者に関してはいつも思ってたけど。

 

 そんなこんなで、今のうちにX JAPANが解散した時のシミュレーションをしておこうと思う。早めに腹くくっておかないと、立ち直れそうにないし。まず、もしバンドが今年解散しても、今まで彼らの音楽が私にどんな影響を与えてきたか、どれだけ救いになってくれたかっていうことは変わらないと思う。 

 

 それから、もし解散後に「クラシックの音楽を作りまーす」、「数年に一回映画のサントラつくりまーす」、「友達と単発でバンド組みまーす」って言われたらもちろん喜んで音源を買うし、ライブにも行くと思う。私のこれからの人生の中でつらいことがあったら、また彼らの曲を聴くだろうし。たぶんYOSHIKIの人生にはこれからもつらいことがたくさんあると思うし(もちろん幸せでいてくれたらそれに越したことはないのですが…)。ファンだからわかる気持ちとか、共有してきた痛みとか悲しみとかあると思うし。私は他の人たちに比べるとファン歴が浅いので、古参の人たちのそういうのには入り込めないけども。それでも、元運命共同体同士として、一人の大人同士として、支えになれることがあったらなんでもやりたい。1011回RTとか。